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【no.3082】 削除する
2007/03/15 13:51
from: 田嶋規雄
熟読・熟考のすすめ3
つづき

長くなりましたが、ここで話がつながるわけです。
東京のマーケットがなぜエキサイティングなのかという問題意識と、「カナダの人口は3000万人」という情報から導き出した、人口密度と商業施設間の競争の度合いとの関係という知識が組み合わさることで、一つの新たな情報ができあがるのです。
すなわち、首都圏の人口密度が高いことが東京のマーケットをエキサイティングにしている理由の一つして考えられるのです(もちろんは理由は他にもあります)。
繰り返すと、「カナダの人口は3000万人」という一つの情報を、自分の頭の中にある情報とうまく組み合わせてあげることによって、東京がなぜエキサイティングなのかということを説明する新たな手がかりが得られたわけです。

皆さんに言いたいこととしては、「熟読・熟考のすすめ」とでも言いましょうか、たまにはたくさんの情報を処理したいという衝動を抑えて、一つの本や記事を何度も読み返したり、一つの言葉をじっくり噛み締める時間を持ってもらいたいということです。
そこから得られるものがきっとあるはずですし、それこそが知識の組み合わせの仕方に磨きかける方法だと思います。

ちなみに、私はこの一年間、消費者行動研究の領域で、以上で書いたような人間の頭の中の情報の結びつきについて研究してきました。

それと、私はこの一年間、かなりのメモ魔と化していました。自分の手帳を15種類くらいの項目に分け、とにかく気がついたことを項目別にすぐに書き込むようにしていました。
ここに私の留学生活の全てが詰っていますし、これが私の未熟な脳の手助けをしてくれています。もし良かったら実践してみてください。

さて次回は、ここモントリオールで新たに学んだ人との関わりあい方についてお話します。

【no.3081】 削除する
2007/03/15 13:49
from: 田嶋規雄
熟読・熟考のすすめ2
つづき

例えば、「カナダの人口は3000万人」という一つの情報があります。これをそのまま単一の情報として自分の脳にストックしておくこともできますが、少し考えてみると、既に自分の脳の中にある様々な情報と関連づけることができます。
簡単なところでは、日本の人口との比較です。日本の人口は1億2000万人くらいですから、カナダの人口は日本の人口の4分の1しかいないということがわかります。

もう少し突っ込んで考えてみると、カナダの3000万人という人口は、日本の中ではどの地域の人口に相当するのだろうかということ疑問が生まれてきます。ここでちょっとネット等で調べて見ると、3000万人という人口は、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の人口を合わせた数にだいたい相当することがわかります。
カナダ一国分の人口が一都三県におさまっているわけですね。首都圏の人口密度の高さに注目できます。

ここからさらに人によって問題意識は分かれてくると思いますが、私の場合、職業柄、マーケティングや商業と関連づけて考えてみるわけです。首都圏の場合、人口が集中していることで、その人口の消費をまかなうための商業施設も集中しているはずです。
商業施設が集中すれば、当然競争が生まれてきます。首都圏は半日もあれば電車や車で移動できますから、例えば東京に何かのお店を構えた場合、極端な話、3000万人のお客さんをターゲットにできるわけです。
それぞれのお店が3000万人を奪い合うことになり、それがやる気と創意工夫を生み出していると考えることができます。

一方カナダは3000万人の人口がいるとは言え、東と西で3時間の時差があるほど広大な土地に散らばっているわけですから、例えばモントリオールにいくら素晴らしい店を構えたとしても、3000万人をターゲットにすることは物理的に不可能です。
日本の首都圏とは違い、商業施設も各地に散らばっているわけですから、店同士で競争する度合いは格段に低くなります。すなわち、カナダと首都圏を比べた場合、例え同じ数の人口を抱えていたとしても、商業施設の競争の度合いは全く異なるわけです。

以上のような連想とは別に、私はここへ来てからというもの、日本、特に東京の市場が非常にエキサイティングであるという認識を常に持っていました。その認識はニューヨークを見た後でさえも変わることはありません。
ここモントリオールでは、デジカメや携帯電話を買うにしても品揃えもお店も少ないため、ほとんど比較検討できずに購入することになります。日本での買物に慣れた私にとっては、ほとんど全ての買物において何かモヤモヤ感が残ります。いい悪いは別にして、買物をする際に悩めないのです。私にとっては深刻です。
この理由は簡単です。競争が激しくないからです。では、なぜ競争が激しくないのか、逆になぜ東京は競争が激しいのか、こんな問題意識を常に持っていました。

さらにつづく

【no.3080】 削除する
2007/03/15 13:47
from: 田嶋規雄
熟読・熟考のすすめ
こちらでは久しぶりに雪ではなく雨が降りました。モントリオールも段々と暖かくなってきている証拠です。と思って油断をしていましたら、数日前はマイナス40度まで気温が下がりました。もちろん、この冬一番の冷え込みです。
そんな冗談みたいな寒さの中、先日お話したランゲージ・エクスチェンジのパートナー、ショーンに連れられて、雪を掻き分けての山登りをしてきました。
自分の息が吐くそばから凍って私のマフラーにこびりついていきます。「こんな無謀な企画を立てるなよ」と思いながら登りつつ頂上に着いてみると、頂上は登山客でごった返しています。こちらではこれが普通のレジャーなんですね。
それと、今日のこちらのニュースでは日本の映像が立て続けに二本流されました。「胴体着陸」と「鯨」です。

>びー
アンコールワット、私も行きたかったんですよね。数年前に行く計画を立てていたのですが、出発直前に日本人が巻き込まれる事件だか事故があって、行き先を変更せざるを得なかったのを覚えています。遺跡だけでなく、内戦の跡などからも感じることは多々あったことと思います。
で、最終日の事件って?

さて、前回は自分が何を言うかに焦点を当てるべきということをお話したと思いますが、今回は、どうやって自分オリジナルの意見を考え出すかということについて触れてみたいと思います。
これは皆さんが討論会等で身をもって経験していることなので、その難しさは想像に難くないと思います。たった一言のオリジナルの結論を言うために、半年もかけたわけですから。

基本的に我々の考えは無から生み出すことはできません。これまで蓄積してきた知識の組み合わせの中で生み出されるものです。
ですから、これまでその人がどのような経験をし、どのような知識や知恵を身につけてきたのかが、新たな知識を生み出すための材料となります
そういう意味で、新たな知識を生み出す上では、多くの経験を積むことや多くの知識を取り入れることはとても大切なことでしょう。

しかしながら、新たな知識は既存の知識の組み合わせの中で生まれてくるものですから、一方で、どのように知識を組み合わせるのかという方法の問題も大切なはずです。
経験や知識のない者が、経験も知識もある者と勝負するには、この組み合わせの仕方に磨きをかける必要があるのでしょう。

では、どうすれば知識の組み合わせの仕方に磨きをかけることができるのでしょうか。

今日、我々は多くの情報に囲まれ、かつ多くの情報に容易にアクセスできます。常に情報をアップデートしていかなければならないという強迫観念さえ感じている人もいるはずです。

一方で私はこの一年間、日本語の情報が限られている環境の中で暮らしてきました。時々日本から送ってもらう雑誌はとにかくとても貴重な情報源でした。お陰で一つの記事をじっくり何回も読んだり、普段だったら読まないような記事に目を留めてみる機会に恵まれました。
日本にいると、とにかくたくさんの情報を処理することに腐心していた気がしますが、ここモントリオールでは一つの情報をじっくり吟味する中で、多くの実りあるものが得られることを発見することができました。

つづく

【no.3079】 削除する
2007/03/11 00:13
from: びー
カンボジア、タイ
に行ってきました!入社目前に顔が真っ黒になったびーです。お久しぶりです。
カンボジア、タイへは男二人で事前に宿もアポをとらず、ツアーでもない、いわゆるバックパッカーとして旅してまいりました。
タイでは4日、カンボジアは3日間滞在してまいりましたが、まさか、最終日に事件が起こると誰が予想したでしょう。事件の詳細はまた後ほど。

さて、カンボジアではアンコールワットへ行ってきました。タイの首都バンコクから電車で6時間かけて国境まで行き、それからタクシーに乗り換えとんでもない悪路を走ること3時間、ようやくアンコールワットのある町にたどり着きました。

ひと言でアンコールワットといっても遺跡の数は多く、そのどれもが違った特徴があります。また、遺跡の状態なども様々で、いたるところで修復作業が行われていました。
数多くの遺跡の中で最も興味深かった遺跡は、ベンメリアと呼びアンコールワットから原チャリで2時間くらい離れた場所にあり、自然の侵食による被害が最も大きい手付かずの遺跡です。また、ベンメリア周辺には地雷が数多くあり、観光が許可されたのは2001年だそうで、その地雷を撤去したのが日本政府みたいです。バイクの運転手だったニャン(勝手につけた名前)がそう言ってて、日本と強い関わりがある国なんだなと思いました。

カンボジアではトータル十数か所の遺跡を見てきましたが、まったく飽きることなく、どの遺跡に対しても感動しました。言葉では本当に説明できません。カンボジアの歴史を少し勉強していったんですが、いざこうやって文章にして感想を書こうとすると、まだまだ歴史を知らなすぎで思うようにかけません。でも、素晴らしい場所であることは間違えありません。日本では感じることのできない何かを感じることができました。

つづく。

>先生
今回の旅ではたくさんの英会話をしてきましたが、到底会話と呼べるレベルではないにも関わらず、ある程度のコミュニケーションがとれました。相手が話す会話の中で、分かる単語だけ必死に聞き取り、こっちも言いたい事の単語を言う、それだけでコミュニケーションが取れてた気がします!

>るう
パリでは事件はなかった?

>いおり
タイどーだった?

【no.3078】 削除する
2007/03/08 04:42
from: 田嶋規雄
あと3週間、でもまだ3週間
モントリオールもつい先日、大雪というより吹雪に見舞われました。

帰国の日まであと3週間となり、家具を売却したりと、ようやく帰国の準備をし始めました。
日本の今年の桜の開花は例年より早いそうですね。桜が散る前に帰れるといいのですけど。昨年は桜の満開を見ずに日本を発ったのを覚えています。
とは言いつつも、まだあと3週間もありますから、まだ粘っていろいろなことに挑戦しますよ。

6期生の卒業式ももうすぐですね。出席できれば良いのですが、規則で1年間以上は日本に戻ってはいけないことになっていまして、非常に残念です。
そこで、私の1年間の総括も兼ねて、6期生の卒業に向けて何回かにわけて私なりの考えをお話したいと思います。

さて、最近、コミュニケーション能力というのは、実はそれほど重要ではないのではないかと思い始めています。この言葉は就職活動などで人を評価するときに使われたり、大学案内でも「コミュニケーション能力を養う教育」などという形で登場してきます。
そもそも何をもってコミュニケーション能力というのかさえわからなくなってきました。もちろん、事例をたくさん用いてわかりやすく論理立てて説明したり、パワーポイントを駆使しながら流れるようにスピーチすることはとても大事です。

ご存知のように、私はこの一年間、英語でとても悔しい思いをたくさんしてきました。これまであまり経験したことがないのですが、クラスで自分が一番できなかったりするわけです。
私は今でも毎回冷や汗をかいていますし、学校へ行くのが憂鬱になるほどです。うまくしゃべれないと、周りの人がみんな自分のことを馬鹿にしているのではないかという被害妄想にまで陥ります。
それでも、ちゃんと準備して、言うべきことを一言二言で固めておくと、文法がめちゃくちゃな英語でも何とか伝わりますし、一言で相手を黙らせることもできます。

大事なことは優先順位を間違えてはいけないということです。うまくしゃべろうという気持ちを抑えて、何を言うかに集中するということです。多くをしゃべらなくても、自分の考えを適切な言葉で表現できれば、それで伝わるはずです。

そして逆に、よくしゃべる人や、声の大きな人にだまされてはいけないということです。よくしゃべる人、声の大きな人が悪いということではなく、聞き手の問題として、よくしゃべる人や声の大きな人が言っていることの本質に耳がいきにくいということなのです。
マスコミを通じて流される情報も、元をただせば、誰か一人の意見、そして時には誰かの捏造だったりするわけです。
ところがそれがマスメディアを通じてドラマタイズされて発信されることで、聞き手はあたかも多くの人が認めた正当な意見であるかのような錯覚に陥る傾向にあります。
マスメディアを通じて流される情報は、多くの人が認めた情報ではなく、単に多くの人が見ている情報に過ぎないのです。

結局、当たり前のことなのですが、自分が何を言い、相手が何を言っているのかにしっかり焦点を当てることが大切なのです。
ただ、最近それがコミュニケーション能力の名の下に看過される傾向があるのではないかと感じているのです。

つづく

>るぅ
その後こちらで経験した顧客サービスのエピソードは語りつくせないほどです。
今では、スーパーのレジにできた長い行列にもおとなしく並んでいます

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